記憶の扉を開く鍵
昔の私は、旅をしても写真はほとんど撮らなかった。
想い出は心に刻んでおけばいい、と思っていた。
でも、 人間の記憶なんてあてにならないことを知った。
しっかり心の刻んだはずの思い出が、
手ですくった水のように、ぽろぽろと指の間からこぼれおちてしまう。
人間って、悲しくなるほどいろんなコト、どんどん忘れていっちゃう生き物なんだ。
だけど、1枚の写真をきっかけに、
いろんなことを思い出すことができる。
その写真がなければ永遠に思い出すことがないようなことでも。
たとえそれが、ぶれぶれの失敗作でも、
閉ざされていた記憶の扉を開くことのできる、大事な鍵。
だから旅行したときはとにかくたくさん写真をとる。
そのとき、食べたもの。そのとき泊まった宿。そのとき、乗ったバス。
たくさんのこと忘れちゃうより、たくさんのこと思い出せる方が
ゼッタイいいじゃないですか、ねえ?
いつまでも忘れない瞬間
朝起きて、顔を洗って、朝食を食べて、電車に乗って、会社に行って。
当たり前のように流れていく毎日。
ふと立ち止まってふりかったとき、どんな1日を過ごしていたのか、ってこと
あんまり覚えてなかったりする。
でも、旅している時間って、特別。
何年たってもいろんな出来事を覚えてる。
まるで、昨日のことのように。
それはきっと、心の感度が高くなるから。
真っ白な心のノートに、見たこと、感じたことを一つ残らず書きとめようとするから。
誰もいない砂浜で、ただ波をみている時。
樹齢何百年、何千年もの木々の下を黙々と歩いているとき。
ああ、この瞬間のことを、きっと私ずっと忘れないな・・・って思うことがある。
どんな1日でも、2度とない、大切な「今日」なんだけど。
波打ち寄せる砂浜の、無数の砂粒のなかから、
青く透き通ったガラスのかけらを拾うように
日常生活のなかできらりと輝く、そんな瞬間をつくりたい。
だから、私は時々旅に出る。
時の流れを、感じるために。
何歳のときに、何をしていたのかってこと、
大人になればなるほど、思い出しにくくなっている。
それは、ひとつひとつ学年があがり、環境も少しずつかわり、
自分自身も成長していった
「学生時代」というものが終わってしまってから。
過去を振り返るとき、
あたしの記憶は旅が目印になる。
あの年のGWには、屋久島に行った、とか。
このときは、新年をプーケットでむかえたんだったな、とか。
入学式でも卒業式でも、遠足でも文化祭でもなく
旅の写真の中で、あたしは少しずつ年をとっていく。
旅は、私の人生を区切る目印。
長い長い道の途中に立てた、大切な道標。
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